本日は午後からクラス懇談会があった。その前に授業は1つ
しかなかったので、準備ができると思いきや、あれよあれよと
時間が過ぎてしまい、ギリギリ状態で臨むことになった。
本日朝の礼拝の時間に、エレミヤ1章前半からお話があったのだが、
その箇所が胸の中に留まった。
「ああ、神、主よ。ご覧の通り、私はまだ若くて、どう語っていいか
わかりません」
すると、主は私に仰せられた。
「まだ若い、と言うな。私があなたを遣わすどんな所へでも行き、
私があなたに命じるすべての事を語れ。彼らの顔を恐れるな。
わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。・・・」
まさにその通りであった。私は心の中でも「まだ若いのです」
「私は何を語ったらいいか分からないのです」と言っていた。
でもそれでも、私が今置かれている場にて話していくとき、
自然と言葉が与えられ、話していくことが出来た・・・のだった。
ギリギリのところで試された・・・一日。
毎回思うのだが、私は「言葉の人」ではない。モーセと同じ様に。
(ならなぜ教師をやっているの、と言われそうだが)
でも、今置かれているからには何かの意味を持っている、はず。
それに取り組むだけ・・・である。それしか・・・道はない。
神様は私に何を望んでおられるだろう。ふと、思った。