肥料

 最近は新しい知識を学ぶことが多い。

 植物は成長に応じて必要となる元素があり、
特に足りなくなるものが、窒素・リン・カリウム
三肥料である。

 ある参考書では、発芽〜成長期には窒素が、
成長期〜開花期にはリンが、開花期〜結実期にはカリウム
特に必要となるということだった。

 その時々に応じて必要なものがある。

 私達は植物ではないが、動物であっても恐らく必要となる
ものはあるのだろう。それが食べ物というだけでなく、
ひょっとしたら、身の回りで起こる雑種雑多な出来事を通して
人は考え・悩み・成長させられていくのかも・・・しれない。

 そういえば、今の自分も過去のいろんな所を通されて来た
ように思う。ときにはギリギリの綱渡り状態を。

 「あの時がなかったら」、「あの時があったから」

 その時にはなんでそんなことがおこるのか、理解はでき
ないのだ。それは突然に起こる(様に思える)。

 それからしばらくたって振り返って見たとき、
ひょっとしたら、そのことの意味が少しでも分かってくる
時があるのかも・・・しれない。

 もちろんまだ分からないことも・・・一杯ある。

 ひょっとしたらこの世の人生では一生わからないこともあるかも
しれない。
(そもそも、生きている内に全部「意味が分かる」とは穿った見方か・・・。)

一生を終えて、振り返ったとき、その時こそ、あのことこのことの
意味がすべて分かってくるのだろう(と希望を持っている)。

 その時がちょっぴり楽しみ・・・だ。

 朝読んだ聖書の箇所がふと思い出される。

「・・・ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい」
(ヘブル12:12)

 つらいとき、しんどいとき、私達の創造主なる神様は
私達と共にいてくださる。そして、共にうめいてくださる。
そして、とりなしてくださる。

「私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、
御霊(神)ご自身が、言いようもない深いうめきによって、
私たちのためにとりなしてくださいます」
(ローマ8:26)

 そして、私たちは背後で多くの方々に祈っていただいて
おり、その(とりなしの)祈りによっても支えられ、生きている。

 私たちは希望を失ってはいけない。いや、失う必要はない。
なぜなら、
「私たちの労苦は主(神様)にあって無駄ではないと知っている
からです」
(どこだか忘れた)

「死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、
後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかの
どんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛
から、私たちを引き離すことはできません」
(ローマ8:38−39)