体験・・・インフルエンザ?!

(お勧めhttp)・・・
http://influenza.elan.ne.jp/basic/index.php



昨日の日記にて「大熱を出した」と書いたのだが、それにちなんだ
ことを書いてみよう。今からさかのぼること約1ヶ月前であるが、
「インフルエンザ」にかかったことがある。


たしかその時は入試の採点が終わって、ひと段落がつき〜かなり
眠かったときの話。次の日、マッサージの仕方が悪かったのか、
起きてなんだか寒気がした。出勤して1限目はたしかテストの監督。
だんだんと体の力が抜けて来ていた。その後空き時間中、体がなんとも
重くて机の上に伏せってぼぅ〜っとしていた。お昼前になってもその状態
は変わらずに、体温を測ったところ、38.4℃!! 折りしも学校では
インフルエンザが大流行の頃である。


こりゃだめだとすぐに早退して家で寝ていた。
家のすぐ裏が耳鼻咽喉科というなんとも便利な場所で、とにかく診察して
もらうことにした。熱はあるが鼻水はないし咳も出ない、ひょっとしたら
・・・ということもあり、これまた歩いて5分、近くの内科を勧められた。


朦朧とした頭で早速内科に行って診察を受けた。


「簡易検査」というもので、たしか鼻に試験紙を入れたようなないような、
結果は多分10分後ぐらいで出た。その時は、インフルエンザは「陰性」で
あった。ただし、症状が発現する前に診察を受けた場合、陰性となる
ことがあるとのこと。大人で38℃以上であるし、学校で流行っている
ということを考えるとおそらくインフルエンザであろうと「タミフル
をもらったわけである。


インフルエンザは解熱しても数日間は菌が排出されるので、本復
するまでは出勤できないと「ドクターストップ」をうけたのだった。


というわけで出勤停止の間は、「自習課題」を出さなければならず、
熱はあるものの、プリント作りをしなければならなくなった。
そんなとき助け舟というのはあるもので、なにゆえか学校から借りていた
問題集があり、それを参考にして課題を出すことにしたのだった。
しかし、解答がなかったのでこれまた4日分の解答を・・・熱がある中で
作り、FAXして送ったという次第である。


ちなみにこの期間に「合唱コンクール」があり、クラスの子達の
合唱を残念ながら・・・じかに聴くことができなくなってしまった。
私に出来ることは・・・せめてFAXを送って〜励ますことだけであった。
(なんだか青春ドラマのような展開である(笑)。
 「事実は小説よりも奇なり」とはよく言ったものだ。)


その後・・・、「タミフル」が効いたのだろうか、ひと晩休んだら熱は
急降下した。むしろ下がりすぎぐらいになった。空咳は時折出るのだが
それ以外は全く問題なし。むしろある意味・・・とても暇になってしまった
というわけである。定期的に体温を測定してグラフまで・・・作ってしまった(笑)。


その当時、代講をすることで・・・仕事が増えたということもあって、
体力的にとてもしんどい時期であった。仕事に行きたいという気持ちは
あったのだが、これはひょっとして「休みなさい」ということなのかなと思い、
思い切って・・・休むことにしたのだった。


とはいえ、「インフルエンザ」と診断された以外は体は快調なわけで、
授業の準備(具体的にはプリント作り)をその分しっかりすることができて
よかったのだった。作ってしまうと精神的にも楽になり、その後の授業にも
大いに役立った。


(火)に診断され、結局(水)〜(金)まで休むことになった。
ちなみに(金)は私の誕生日!(笑)
(金)の夕方に、再び内科に行ったところ、
タミフルを飲んで熱が急に下がったことを考えると、おそらく
「インフルエンザ」であろうと診断を頂いて、ゴーサインをもらった。


当初、自分の中では・・・申し訳ないが「ひょっとしたら誤診なのでは?」
と疑ってしまう思いとの「戦い」だった。まるで自分が悲劇の主人公
の様に(笑)。でも、いまさらながら振り返ってみるに、私にとっては
丁度良い休みを頂いたのだな、と有り難く思える。たとえ誤診であった
としても、本物であったにしても、必要なものだったのだ。


勤務していて「早退」というのも「休み」というのも・・・実は初めての
経験だった。これらの経験を通して、いざというときどうするのかと
いうことを知ったし、私自身がひとつ成長させられた気がした。


実はその後すぐに・・・代講をしなくても・・・よくなった。
自分ではもう限界だ・・・と倒れる今一歩、危ないところで・・・助けられたのだな、
と実感させられたのだった。


「神はわれらの避け所、また力。
 苦しむとき、そこにある助け。」 (詩篇45:1)