渡辺和子さんの講話集をCDで流して聞いていたのだが、ふと
心に残る言葉があった。
それはたしか・・・人に与えられている自由とは、計らずにも起こ
った様々なことに対して、それをどう受け止めて生きていくか〜
という自由であると。そしてそれがその人の「幸せ」につながって
いることであろうと。
どんな人にも、起こって欲しくないことが起こるときがあるで
あろうか。それに対して、いつまでもそのことを嘆き続けること
もできれば、摂理(神様のお取り扱い)として正面から受け止めて
歩いていくこともできること。
おそらく、そのように受け止められるようになるまでは幾たびかの
嘆きの夜、幾たびかの日々を過ごさねばならないのかもしれない。
涙が出尽くして、乾ききってしまった〜そのような朝(あした)に、
私どもは、一縷の心の慰めを見出すのかもしれない。
この嘆きは私の人生にとってなくてはならないものであった、
これがなければ、私は人の嘆きを捕らえることが少しもできない
者になっていただろう、
この嘆きを知って初めて、自分が見えていないものが見えるよう
になり、
同じような嘆きを持った人の痛みが少しは分かるようになって
きたのではないか・・・と。
私達は、幾たびかの「まさか」の出来事を通して、高ぶっていたもの
が低められ、感性の鈍かった所が研ぎ澄まされ、人の痛みに少しは寄り添う
ことができるようになるのかもしれない。
・・・つらつらと思った。