学び3回目(その2)

エペソ5:22〜33より
(1)「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい」
(2)「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられた
  ように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい」

この箇所は夫婦の間の関係をよく表している。

【夫の側として】
(2)の様に、夫は「キリストが教会を愛」されたようにと勧められている。
キリスト(イエス様)と教会との関係は、イエス様がまず先立つ。
イエス様が教会をまず愛されたがゆえに、教会はイエス様を愛する。

それにならい、夫が「まず」妻を愛することが大切である、こと。

もともと違う二人はケンカする。しかし「怒って夜をすごしては」ならない。

ケンカが解決せずに次の日に持ち越されるならば〜いずれ二人の関係を
引き裂く元になるであろう。壁に亀裂が少しずつ入っていくように。

だからこそ、ケンカはその日その日に解決しておくべき、こと。

その際にまず「夫」が、イニシアチブ(主導権)をとりなさい、ということ。
 
普通、男性は怒ると「無言」になる。もし怒りが解決されないのなら、
その「無言」が家庭を支配し、二人の間に会話がなくなり、そのうち
会話を避けるようなり、「冷戦」が続く〜というのがパターン。

そのようになりたいか。(もちろん時には「妻」の側から水を差し向ける
ことも必要かもしれないが。)

とまれ、妻にとって「夫の言葉」は影響がとても「重い」もの。

ケンカの仲裁のためだけでなく、夫は妻に対して普段のねぎらいを
「言葉」でねんごろに表す必要がある、こと。

そして、愛情の「ボール」は、まず夫が投げること。
(これもまた、時には妻の側から投げることも必要となろう。
互いに投げ返すときに〜愛情の「キャッチボール」となる。)

※自分も「男性」だ。やっぱり無言になってしまう。変な「プライド」もある。
自分から謝りたくない、自分が正しい、と思ってしまう者。それを
「捨てて」イニシアチブをとる、というのは結構チャレンジである。
  
それに、もし謝ったとして、「女性側」から「私はこういう風に思っていたの」
と聞くときに(それが責める気持ちではないにしても)、くどくど責められる
と思ってしまいかねないものだ。もっとも、それに「耐える」のも一つの
「修行」なのかもしれないが(笑)。とにかく、ケンカの「仲裁」のイニシアチブ
をとることで、人として少しは磨かれていくのかもしれない・・・。

自分から謝れる人、ってすごいよねー(独り言)。