学び3回目(その3)

エペソ5:22〜33より
(1)「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい」
(2)「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられた
  ように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい」

【妻の側として】

(1)で妻の側に対する勧めが述べられている。

通常妻が夫に従うことはとても難しいことのようである。

というも、妻は夫の悪い所がいろいろ見えてしまって、
「こんな夫になんか従えるものか」と思ってしまうからである。
そして、もし夫が「キリスト(イエス様)」のように素晴らしい方
だったら「従えるのに」と。

にしても聖書では、夫に「従いなさい」と勧めているのはどうしてか。

それには、夫はまだ「完成」されていないこと(妻だってそうだが)、
いつか神様が夫を「完成して下さる」という「信仰の目」を持って従う
ということである。

もちろん、なんでもかんでも夫に従わねばならないかというと
それは違う。たとえば夫が「悪事」を働いてしまうときには
妻はむしろそれを差し止めなければならない。

聖書ではイエス様が十字架にかかるとき、弟子のペテロが三度
「(イエス様を)知らない」と言った場面があるが、それでも
イエス様はペテロにこう話された。
「あなたは今夜私を三度知らないといいます。しかし、私はあなたの
ために信仰がなくならないように祈りました。あなたは立ち直ったら
・・・しなさい。」
イエス様はペテロが立ち直ることを「ご存知」で声を掛けられたのだった。

それと同じように、妻もまた夫に「信仰を」もって従うことが必要
である、こと。

妻が夫を信頼し、尊敬して「従う」ことを通して、夫も「責任を果たす」
ことが出来るようにされていく。その際には、夫婦が互いに話の
キャッチボールをして進めていくことも必要となろう。

※私にも「欠け」がたくさんある。もし「女性側」からみたら、「従う」
のに難しい存在であろう。にしても、もし「完成」されることに
「期待と信仰」を持って接せられるなら、ふさわしいものに変えられて
いくのであろうと思う。もちろん人間的弱さがあって、なかなか
イライラさせてしまいかねないものであるから。