人間は偶然・・・?

 本年度最初の日曜日、教会ではいろいろと目白押し。

 教会学校のお話の時間では、創世記の始めの辺りから
だった。

 以前は結構多めに紙芝居?を用意して話をしていたの
だが、さすがに時間的な余裕もないと難しい。今回は、
特に内容にスポットを当てて取り組んだ。

 私達一人ひとりは目的をもって造られている(はずだ)。

 時計が誰によって作られ、何の目的でつくられたかが
分かるように、私達は自分の体の部分部分には意味があり、
偶然で出来た、という人はいないだろう。

 というのも、例えば「目」は何のためにあるのか?と
尋ねられたとして、「意味はない」という人はいないだろう。

 その他、鼻は? 口は? 耳は? 手は・・・などなど、
すべてが意味を持って造られている。

 ならばなおさら、「私達自身」だって、「意味」と「目的」を
もって造られたものだ、と言うことは自然ではないか。

 そして、むしろ「だからこそ」私達は、自分の生に「意義」を
見出し、毎日の生活を「刻んで」歩んでいくことができるのではないか。

 もし自分が「偶然」からできたとしたら・・・自分の「生」の意味は
偶然なのか? そこで「やる気」とは生まれてくるものだろうか。

 などなど・・・年度始めのこの頃、準備をすることを通しても
考えさせられたひと時だった。