今年度最後の日曜日
ルカ22:54〜62、本日の礼拝説教より、三つ。
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(1)「義」(正しい判断をすること、する力)は、
自分が基準となるなら、他の人を裁き、自分をも裁くもので
その義は人を生かせない。
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→たしかに思い当たることがある。お互いに自分が正しい
のだ、と言い合っているところに、魅力は感じないし、
自分が正しいと思うことを自分ができなかったりすると、
結局自己嫌悪に陥ったり、自分なんかどうせ・・・となってし
まうことがある。
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(2)「愛」も、単に人の弱さに同調するものであるなら、
人を変えられないもの。
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→「あなたはそのままでいいんだからね」、たしかによく
聞くし、一見もっともらしい言葉であるが、それがもし、
万年床のようなものであったなら、人を変えるものには
なりえないのかもしれない。
もちろん、もうどうしようもなくて、さじを投げるような
状態もあるのかもしれないが・・・。
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(3)本当の義・愛は、それによって私たちが生かされる。
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お互いに正しいと言い合うことでもなく、なんでもかんでも
受け入れるような万年床でもなく、本当に人に命を与えるのは、
「本物」を基準にしたところから始まるということ。
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本物とは、もちろん神様のことなのであるが、私たちは
神様を基準とするからこそ、お互いに正しいものではなく、
弱さも欠けも持ったものであることを認め、和解し、助け合う
ことができるのであろう。
そして、本当の神様〜私たちのために命をかけられた方の
愛を知り、受けているからこそ、その愛を分かち合うことが
できるのかもしれない。
主が弟子たちの足を洗ってくださったように、私たちも
お互いに洗い合う(仕えあう)ことができるものへと。