神なき教育・・・
水谷潔先生のブログを読んで思った。 「神なき教育は知恵ある悪魔をつくり、 神ある教育は愛ある知恵に人を導く」 上はある学校の校訓とのことであるが、ドキッとするものである。 今日は長崎原爆投下の日であるが、例えば当時の科学者が「核」を 殺人のための兵器として利用するということに、反対することは なかったのであろうか? もちろん反対する科学者もいたのでは ないかと思う。 私の記憶では、たしかあのアインシュタインが当時のアメリカ 大統領ルーズベルトに対して原爆をつくるように書簡を送ったので はなかったか。 そこでネット検索してみた。例えば、 http://homepage2.nifty.com/einstein/contents/relativity/contents/relativity145.html によると・・・ アインシュタインはあの「ナチス」が原爆を作ることをおそれていた。 結果、いち早くアメリカが国家事業として多額の資金を投資し、 原爆を製造することになった。 研究が進められている途上、ナチスの敗戦が確実になってきた。 その当時、まだ降伏していないのは日本であった。その日本に対 して原爆が使われることを危惧し、彼は大統領に書簡を送ること になったが、その書簡を読まないまま大統領は亡くなる。そして 原爆投下・・・という悲劇。 ナチスが自らと家族の生命を脅かす脅威になったとき、 アインシュタインは「平和思想」をひるがえすこととなる。 とはいえ、彼はサインするまでに2週間ほど悩んでいる。彼のうちに どれほどの苦悩があったのか、うかがい知ることは出来ない。 もし自分がアインシュタインの立場であったらどうするだろう? とても深刻で難しい問題である。 ・・・にしても、もし原爆が「悪魔の兵器」たりうるということが分かって いたとしたら、それをつくらない「知恵」はなかったのだろうか? むしろ「知恵」がなかったから作ってしまったのだろうか。 気が付いたときにはすでに遅かった・・・と。 なぜつくってしまったのか?に焦点をあてることも必要で あるが、作ってしまった以上、もう「使わせない」と訴えることも 必要である。もうこれ以上原爆の悲劇を生まないために。 なんだかまとまりなくなったが、「知恵ある悪魔」を作りたくは ないものだ・・・。