学び3回目(その4)

【夫婦が生活を営んでいく上で】

始めのうちは「よろこび」が多いであろうが、そのうち「新しい課題」が
二人にやってくる。

例えば、子供が与えられたとして、その子が家に「課題」を持って
くることもあるだろう。
また例えば、夫婦それぞれの父母もいずれは衰えていくわけで、
そんなときにどうするか、という「課題」もあるだろう。

夫婦は「課題」の中に使わされていく存在である。

それは単に神様が二人をいじめようと思ってなさるわけではなく、
「二人を一人」にするための業である、ということである。

二人が共に課題に向き合い〜心合わされていくとき、
それもまた「よろこび」となっていく。そうして「祝福」が続いて
いくと。

それには毎日の積み重ねが大切になるだろう。

※いずれ「課題」はやってくる。その時に始めて夫婦が「振るわれる」
とき。そして二人は訓練されていくこと。神様は「耐えることができない
ような試練には遭わされない」方であると聖書は語る。どのような
「課題」がやってくるのかは全く分からないのだが、ただ神様の
あわれみによって「耐えうる」ことができるように願うばかりである。

そもそも神様に「生かされている」存在として、そして神様は
私達を神様に「似たもの」に変えてくださるということに希望を持って。

「夫婦」として世間の「大海」にでていくことは、一つの「冒険」であろう。
その「冒険」がなににも代えがたい、二人の「財産」となり、サポートして
くださる周りの方々にとってもなによりの「励まし」となり、神様の「ご栄光」
につながっていくものとされたら、と(厳粛に畏れながら)願う者である。

※それはそうと、結婚してからなんだか仕事などが増えてきたような
気がするが、気のせいだろうか(笑)。その分、期待されてる…っていうこと?

何が夫婦にとって「スパイス」になるかは分からないものと思う、これからも。

いつか振り返ってみて、「互いでよかったのだ」と言えるものでありたい。