長〜い一日

 本日は教会にて礼拝の司会を仰せつかっていた。

聖書箇所はルカ22章31〜34、54〜62節。

エス様が捕らえられて連れて行かれる際、弟子のペテロが
大胆にも後を付いていき、周りの人々に「あなたはあの人の
仲間だろう」と聞かれ、3度否定し、そこでニワトリが鳴く、
という所である。

私達は困難や苦しみに出くわした時、どのように反応する
のだろうか。それは、大まかに分けて二つあると。

1.人間の「義」・・・「自分はこうあるべきだ」としてそうでない
  自分を責め、結局自分を殺してしまうこと。これでは人を
  生かすことはできず、ついに「自分は出来ない」と卑屈になってしまう。

2.人間の「愛」・・・それぞれが人の失敗を「いいのだ」と受け止め
  る。しかしそこでとどまるならば、人を変える力はもたない。

私達を正しくするものは、神の「正しさ」をおいて他にはない。
それこそが、主の「十字架」と言える、と。

神様は今の私達の状況に目を留めて嘆くのではなく、たとえその
状態に目を留めたとしても、私達の将来の姿に期待の目をもって
おられること。

「わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために
祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけて
やりなさい」

午後は、洗礼を受けられる方たちのお話を聞いた。
神様はお一人ひとりにねんごろに働いて、お導きくださる方だと
再び確認させられた。