とある性教育

 妻が最近関わらせていただいている、小学生の
お子さんを対象にした性教育の集まりを見学した。

 講師をされている方たちは、各地で実際に小学生を
対象にお話をされている助産師の方たちで、皆さん
さすがお話も演技も卒なくなされていた。

 また、その中で話される性の話は〜私が小学生の時
学校で感じたような〜気恥ずかしさを感じるものでは
なく、話し方になるほどと思える工夫もされていた。

 子を持つ親にとって、「子供はどうしてできるの?」
とはいつか聞かれることであろう。そんなとき、私達は
「大人になったら分かる」という答えでは済まされない。

 その子その子の段階に合わせて、適切に話をしていく
べきであるように思うし、それが変な誤解を生み出す様な
ものであってはならないのだろう。

 「ビデオ係」を担当していて、いろいろと気づかされた。

 子供が生まれるとき、母親は「陣痛」を感じるわけだが、
それは体が子供を外に出そうとして働くことである。
それは意志とは無関係にである。私達の体にはその様に
「備わっている」。これはよく考えたらすごいことでは
なかろうか。だから母親は無理に「いきむ」必要はないの
である。

 おなかの中で赤ちゃんは「守られている」。人間の中で
最も弱いと思える部分、そこにさえ、見えざる手は働いて
いるのだ。羊膜に包まれて赤ちゃんは、子宮とつながる
胎盤により母親の栄養をもらって育つことになる。
赤ちゃんは愛の守りのみ手の中で育っていく。

 また、「胎盤」をまじかで見せ、子供たちが(手袋をして)
触って体感していた。胎盤の見た目はまさに厚い「肉の板」という感じ
だった。この器官は結構重さがあり、中からへその緒(管)が
90センチぐらい伸びていた。まさに「リアル」。管の直径は
約1センチぐらい。それが以前私達のおヘソの部分にも
つながっていた。その愛の「絆」といえる部分を通して、
私達は育っていったのだ。

 赤ちゃんはおなかの中でいろいろな顔をしているという
ことだった。時に目を開けたり、あくびをしたり、おしっこ
したり、お母さんのおっぱいを飲むようなしぐさをしたり、
(指をくわえること)、時にはしゃっくりをしたりするという。

 赤ちゃんはおなかの中で「生きている」。

 たしか8ヶ月ぐらい経つとおなかの中で音を聞いたりして
それに反応したりするようだ。おなかの中にいる子にお話を
読んで聞かせたり、とあかちゃんは親の愛情も目一杯受けて
育っていく。

 赤ちゃんは愛された存在だなぁと感じると共に、自分も
愛されて育ったのだと、なんだか熱いものを感じた。

 私達はおなかの中にいるときから既に「愛された存在」
として造られているということ。私達はいつの間にか大人に
なって、それを忘れてしまう、のかもしれない。

 なんだかとてもよい経験になった、そんな一日の一こま。
http://www.ncsm.city.nagoya.jp/mb/sanka/080329karada.html